「びわ湖の日・世界湖沼の日」特別企画~日本各地の湖沼の水産と地域の食文化(観光資源)を紹介します「手賀沼編」~
企画提案者:「びわ湖の日・世界湖沼の日」特別企画
(1)手賀沼とは
手賀沼は、千葉県北部に位置し、柏市、我孫子市、白井市、印西市にまたがる利根川水系の湖沼です。かつて「つ」の形をした大きな沼でしたが、干拓事業により約8割の水域が失われ、現在では北と南に分かれた形になっています。北の水域を「上沼」、南の水域を「下沼」と呼び、両者は手賀川でつながっています。
手賀沼は、約7万年前に始まる地殻変動によって形成された下総台地の一部で、海跡湖として誕生しました。江戸時代には利根川東遷事業によって利根川の下流となり、水害対策と食糧生産のための干拓が行われましたが、度重なる洪水により干拓は失敗に終わります。それでも、手賀沼は漁業や水鳥猟で栄え、特に江戸時代にはコイやウナギが名物として珍重されていました。(MyTabi Nect千葉県観光から)
(2)手賀沼の水産資源(ポケット型のパンフレット『手賀沼に暮らす生き物』のうち「手賀沼の魚」から)
* パンフレット作成は我孫子市手賀沼課。サイト運営は柏市教育委員会。
詳しくは、次からご覧になれます。魚介類・手賀沼の魚
ここに「ちょっと昔の手賀沼の魚」「現在手賀沼にすむ魚」について書かれています。
ここでは、「現在手賀沼にすむ魚」について紹介します。
① 現在手賀沼にすむ魚(なまえをクリックすると写真が見られます)。
☆コイ(こい)
手賀沼には多く生息しています。フナと似ていますが、口のところに左右2本のひげがはえているのがコイです。
☆ギンブナ(ぎんぶな)
俗にマブナといわれる魚で、「甘露煮」の材料に最適です。我孫子市内には今でも「フナの甘露煮」を加工する店が一軒だけ残っています。
☆ゲンゴロウブナ(げんごろうぶな) 別名ヘラブナといわれ釣り人に親しまれています。手賀沼にはコイに次ぐ魚影の濃い魚です。
☆モツゴ(もつご)俗にクチボソとかハヤとよばれています。佃煮として重宝され、手賀沼の魚では一番有用な魚種です。水の汚れにも強く、数多く生息しています。
☆ワタカ(わたか)手賀沼では増えてきた魚です。平べったい魚で食べても美味しくはありません。
☆ハス(はす)20年前頃まで、手賀沼には生息していませんでした。繁殖力が強く多くの固体が生息しています。
☆ハクレン(はくれん)俗名レンギョといわれ、中国大陸から移入されたものと思われます。
☆ブラックバス(オオクチバス) (おおくちばす)外来種で北米産の魚です。どう猛で小魚をたくさん食べてしまいます。
☆ブルーギル(ブルーギル)外来種でブラックバスと同じ北米産です。手賀沼には1 9 7 5(昭和50)年頃姿を見せ始めました。
以上9種の魚は手賀沼で比較的多く生息しています。
② 手賀沼の漁具・漁法です。
詳しくは、次から パンフレット『手賀沼に暮らす生き物』
③ ハスの群落が消滅してからは、ブラックバス・ブルーギルは減少し、雷魚やコウライギギが多く生息しております。
どの湖沼もそうでしょうが、気温・気候・水環境の変化により生息する動植物も変化しており、当組合認定魚種であるワカサギに関しては、時折漁師の網で見かける事はあれど、以前のようにどこにでもいる魚では無くなっております。成魚であればある程度の高水温に耐える事はできますが、近年の温暖化により水温も上昇しており孵化条件の満たす場所はほとんどない状況となっております。
(手賀沼漁業協同組合の情報です)
(3)手賀沼の水産資源(我孫子市手賀沼課)
① コイ(コイ科) 全長50cm~ 英名:Carp 今見られる個体の多くは中国から移入した「ヤマト」といわれる体高が高いものが由来であるとされています。ヒゲは2対(4本)あります。昔は食用にするため 大切に扱われ、手賀沼でも稚魚を放流していました。
手賀沼の魚(17~24ページ)
②手賀沼の漁具・漁法
船曳あみ・張網などがあります。・
(29-30ページ)
PowerPoint プレゼンテーション (29-30ページ)
(4)手賀沼漁業協同組合の取り組み。(組合HPから)
釣り堀 – 手賀沼フィッシングセンター | 手賀沼漁業協同組合
(5)手賀沼の沿革(我孫子市HPから)
① 美しかった手賀沼…昔の手賀沼は、豊かで清らかな水を堪え、農業用水や漁業の場として盛んに利用されてきました。
② 江戸時代以降は、洪水を防ぐための堤防や排水路の工事と干拓による新田の開発が積極的に行われるようになりました。
③ その後もたびたび埋め立てを行い、新田開発が計画されましたが、成功しませんでした。
④ 干拓が成功したのは戦後になってからで、食糧増産の急務が叫ばれたのを契機に、昭和21(1946)年に国営印旛手賀沼干拓建設事業が着工され、昭和43(1968)年に完成しました。この干拓と同時に、手賀沼と利根川の合流部地先に手賀沼排水機場が新設されました。
⑤ 一方、昭和30年代後半頃から始まった手賀沼流域での急速な都市化に伴う生活排水の流入により、手賀沼では急激に水質汚濁が進行しました。
⑥ 長年の浄化への取組みによって、平成13年に湖沼水質汚濁ワースト1を返上することができました。また、最近では、水質悪化時に手賀沼から姿を消した生物の復活が少しずつ確認されています。
詳しくは、次からご覧になれます。
(6)手賀沼と開墾(柏市HPから)
① 東京に最も近い湖沼…実際には日本橋から7・8里で、足の強い人なら水戸街道を歩いて半日余で呼塚・手賀沼に到達します。江戸時代には、手賀沼周辺からウナギや雑魚・鴨や鶏卵・野菜などが江戸に運ばれ、江戸人の台所を潤してきました。
② 戦後の昭和三十年代まで、手賀沼のウナギが「青」と呼ばれ江戸・東京で珍重されました。
詳しくは、次からご覧になれます。
(7)江戸の台所を支えた手賀沼の漁業
① 手賀沼は、江戸時代には江戸の台所を支える湖魚供給地としての役割を果たしました。 歴史的にコイ・フナを中心とした水産物がありました。
② 手賀沼が江戸時代からの湖魚供給地であることを示す文献(研究書)として、『印旛沼・手賀沼:水環境への提言』(古今書院, 1993)があり、その第10章に「近世の印旛沼と手賀沼の漁業」があります。
印旛沼・手賀沼 : 水環境への提言 | NDLサーチ | 国立国会図書館
(同書の目次から)
10章 近世の印旛沼と手賀沼の漁業 11章 現代の印旛沼と手賀沼の漁業 13章 手賀沼の魚の変遷
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